10月30日

熱血行動派

2013年10月30日 17:22

国会期間中ですが安倍首相はトルコ海峡鉄道の開通式に出席し、友好を高めた話題がニュースになりましたので、あえて私は日本とトルコとの関係をエルトゥールル号事件をもとに簡単に記しておきたいと思います。
 
 今を遡ること128年前、1887年日本の皇族小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えることを目的にエルトゥールル号がオスマントルコ帝国海軍の航海訓練を兼ねて日本に派遣されました。
その帰途、折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野崎の岩礁帯に激突座礁し沈没した。
この沈没で600名以上の乗組員が荒れる海に投げ出され、幾人かの生存者が運よく樫野崎の灯台守に助けを求めました。
この知らせ聞きつけた大島村の住民たちは総出で救助にあたり69名が救助されたがのこる587名は死亡・行方不明となり大きな遭難事件になりました。
村では台風のため、漁ができずわずかな蓄えしかありませんでしたが、そのずべてを提供して献身的に介護を続け、無事に神戸の領事館に生存者を送り届け、政府としても全面的に援助をし、この69名の生存者は日本海軍の軍艦に乗り無事に帰国することができました。
 
 この事件で被害者のトルコに対して差しのべられた日本人の厚い行為はその後長く日本とトルコの関係の基盤になっていくのですが、
時を経て、1980年から始まったイランとイラク戦争は年々エスカレートし、ついにイラクのフセイン大統領はイラン上空を飛行する航空機はすべてイラク空軍の攻撃対象とする宣言しました。
時の日本政府は危機管理能力を欠き、各国が次々と救援機で期間内に避難する中、日本だけが救援機を送ることもできず、在イランの邦人はなすすべもありませんでした。
戦火が広がるつつあるイランで、日本が最後の頼みとしたのがトルコでした。
この時、トルコに現地駐在勤務していた伊藤忠商事のイスタンブール所長はオザル首相に頼み救出を願いましたが、トルコはトルコで自国民を救出しなければならず当初は断り続けましたが、再度、所長が「日本が頼れるのは日本しかありません」と言うとオザル首相が「分かりました」と答えました。
そしてトルコが2機のDC10を飛ばしが215名の日本人を救助したのです。
しかも、日本人を優先し自国民であるトルコ人約500名は陸路自動車でイランを脱出させたのだから驚きです。
救出された後、日本人からなぜ、そこまで日本人を優遇してくれたのか?と尋ねると救出にあたったトルコの人々は「100年前のエルトゥールル号の恩返しだと」と答えたという、大島村の村人がトルコ人を救出してくれたおかげでじつに100年たったこの時、その恩に忘れずに応えてくれたという話が今も残されています。
こういう話は是非歴史で教えてほしいものですね。

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