論語での話

小生のもとに送られてくる論語で興味深いものがあったのでご紹介したい。
「薩摩煙草のごとく」
薩摩に煙草があります、その道の古老に聞きますと、煙草はどんなによく栽培しても、新葉だけでは駄目だそうであります。
古葉と新葉を常に合わせて、初めて本当のうまい煙草ができる。
これと同じように青年が先輩を、老年を尊敬しなくなり、老年が青年から離れてしまって、両々相嫌い
軽蔑し合う、とういう事で物事の成功した歴史はない。・・・・・・・・安岡正篤
これに似ていますが昨日の某新聞にも「敬語と思考の関係は」というエッセーなかに以下このような言葉で括られていました。
”もしいつか、私たちの言葉から敬語がなくなったとしたら、私たちはもっと発語しやすくなるだろうか?
ものの考えかたも変わってくるのかどうか?
あるいは敬語を使う機会をもたない人というのは敬語が今より普遍的だった世代とはすでに異なる考え方をしているのだろうか?と考えると不思議なようなこわい気持ちになる"とこの筆者は書いてありました。
国家の品格の藤原正彦氏の著書の中に「祖国とは国語」がありますが日本にしかない敬語、尊敬語もまさしく祖国語である国語の基本であり英語教育も大事ですが敬語を教える事も同じように大事であると考えます。
そのような事が日本の世代と世代をつないでいく言葉のパイプになり伝統や文化の継承にもつながっていく事でしょう。


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