一昨日土曜日、私用のため、東京でしたが前日の雪で、都内の電車の運行が悪く大変でした。
さて、ソチ冬季オリンピック、日本勢の活躍とても頼もしく感じています。
そのなかでも9日行われたジャンプラージヒルで、1992年のアルベールビル五輪以来7大会連続出場の葛西紀明選手が41歳という年齢にも関わらず銀メダルに輝いたのは日本人の心を打つものがありました。
「レジェンド」と呼ばれてる所以は、個人のメダルに恵まれなかったこともあるが、98年長野五輪で日本中がジャンプ男子団体の金メダルに沸いたが、メンバーから外れ、大会前に放火に巻き込まれ母を亡くし、妹はその火事が原因でいまでも闘病生活をよぎなくされているという。
そんな栄光と挫折の苦しみを過ごしてきただけに”あきらめない”という思いがメダル奪取につながったのでしょう。
振り返ると一昨年のロンドンオリンピックのレスリング女子48キロ級金メダリストの小原日登美さんは”あきらめなければ夢はかなう”として
こう語っていました。
(当時新聞に掲載文を切り抜き保存していました)
彼女は小学校4年からオリンピック出場を夢みてレスリングと出会い、女子世界選手権で優勝した山本美憂選手の姿を見て、「いつか自分も世界で活躍する選手になりたい」と願いました。
郷里の八戸市には伊調姉妹がいて、姉の千春さんとはライバル関係だったが、なかなか勝つことが出来なかった。
でも「いつか表彰台の高いところ」にという思いは持ち続けました。
愛知中京女子大に進学するとき、父から渡された手紙に「強い人が勝とも、すばらしい人が勝ともかぎらない、最後まで諦めなかった人が勝つんだ」とこう記してありました。
00年に初めて世界選手権に出場し、51キロ級で優勝。
翌年2連覇し、アテネ五輪での女子種目の実施が決まりやっと目標が定まり高校時代から悪かった左膝の手術を行いリハビリをしながら準備をしていたが、出場する51キロ級は五輪種目に採用されず、階級変更を余儀なくされ、一つ下の48キロ級に同じ夢を追い続ける妹、一つ上には55キロ級の吉田沙保子選手がいて、しかたなく55キロ級で挑戦することにした。
が、吉田選手と対戦しても完敗し、どれだけ努力しても吉田選手を倒してアテネ五輪に出ることは出来ないと考えた瞬間、目標が目の前から消えてゆくのが分かった。
そう思った瞬間、「人生なんてどうでもいい」と感じ、実家に戻り投げやりな生活を続けた。
引きこもり生活を続けている私に父は「勝っても負けてもレスリングをできることが幸せなんだ」と励まされ、後ろ向きではいけないと思い返し
自衛隊体育学校に入校して再びレスリングを続けるのだが、北京五輪に出場できず一度は引退したが、2010年秋、最後の挑戦という思いで
再度、マットに復帰し、やっとの思いでロンドン五輪に出場を果たしました。
五輪出場がかないロンドンに向けて出発した時、「これで自分が負けたとしても、自分が悪いのではなく、相手が強いんだ」という思いがあり
そんな気持ちで臨んでいた。
そしてロンドン五輪では4試合闘い、決勝で逆転勝ち、表彰台に上がったとき、「諦めなければ夢はかなう」という感慨があった。
大事なのは、目標を立てる事、目標が決まり心が決まれば動き出せる。
やり続ける限り、可能性はある。
その過程が自分の財産になる。
継続は力なり、どんなことでも続けることが自分の力になる。
今回、ジャンプラージヒルで銀メダルを取った葛西選手もここまでくるのに21年かかったとしています。
やはり、諦めないという思いが年齢や体力を超えて現実の姿になったのでしょう。